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ヨハネによる福音書 3

 3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」

 

 5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。

 6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。

 

マタイによる福音書 3

11 わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。

12 そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」

 

人は命の息のある内に水と霊とにより新たに生まれなければ神の国を見ることが出来ないと書かれているの。伊弉諾尊の禊により新たに生まれなければ神の国を見ることはできないの。

 

その様にして新たに生まれた後に聖霊と火による洗礼を受け、生命御守護の霊験により肉が霊として生まれるのよ。終わりの時に人は荼毘に付されるでしょ。その時に水と霊による洗礼を受け新生しているかどうかなの。

 

ヨハネの黙示録 20

 14 死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。 15その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。

 

火の神を生んだ伊弉冉尊が落命し、黄泉に降ったことを彷彿とさせるでしょ。水と霊による洗礼の後に火と聖霊による洗礼なのよ。水と霊による洗礼を受けなければ命の書から名前を消されるの。ノアの洪水が水による洗礼だったのよ。終わりの時には火による洗礼がもたらされることが想像されるでしょ。それが荼毘に付されるということなの。

 

天照大御神の御名により伊弉諾尊による禊を受け御霊を賜わるという事なのよ。それは心霊体験を超えた神秘体験を伴うの。御神霊による霊験なのだから当然そうなるのよ。この龍宮に生まれキリスト教と称し屁理屈をこね、イエスを信じ仰ぎ見ていれば救われるなどという次元ではないの。

 

マタイによる福音書 7

21 「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。 

22 かの日には、大勢の者がわたしに、『主よ、主よ、わたしたちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。 

23 そのとき、わたしはきっぱりとこう言おう。『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ。』」

 

イエスによる洗礼は天の父の御心であり、その福音の原則はイスラエルから取り去られ、龍宮で伊弉諾尊の禊として根付いているのよ。神の国に生まれても天の父の御心を知り、それを行わなければ命運が尽きるの。

 

今ではイスラエルに代わりこの龍宮に福音の原則が秘められているのよ。天の父の御心は聖所から至聖所に遷され、その至聖は不法を働く者の目から隠されているのよ。そう冥想するのよね。


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