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マタイによる福音書 7

13 「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。

14 しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

 

ヨハネの黙示録 20

4 わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。

5 その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。 

6 第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。

 

七越と十四越の大祓で打ち止めかと思っていたら大相撲の千秋楽が飛び込んできてしまったの。千秋楽が千年間の統治に相対している、千代のお祭りだったの。この千秋楽の結びの一番で竜と獣と偽預言者と、それ以下の六百六十六の印を受けた者たちが第二の死に投げ込まれるのよ。そしてその数の方が狭き門を見出すものより多いの。

 

それは御言葉の通りに既定路線なのよ。第二の永遠の死による滅びが既定路線なの。神の創造において既定路線で、なくてはならない関門なのよ。なぜそうなるのかというと永遠の命と永遠の死は表裏一体で、片方だけ切り離すことの出来ない陰陽として、創造の鏡に映されているからなのよ。

 

そのような既定路線の中で狭き門を見出すように警告されているの。その警告がこの世においては、ほとんどノイズのように扱われているという事なの。第一の死について考えたくない人にとっては、御子の死と復活ということもノイズとされ、心理的盲点の内側に置かれるのよ。

 

第二の死に対する警告が為され、サイレンが鳴り響いていても、脳の働きによりノイズとして判断してしまうのよ。それが罹災者の正常性のバイアスなの。怖い思いをしないと心理的盲点はなかなか外れないのよ。狭き門を通していただくための合言葉が「怖いながらも通りゃんせ」なのはそのためなのよ。

 

その様なバイアスを手遅れになる前に外すためには、御子の御言葉にすがるしかないの。そうしているうちに心理的盲点が徐々にのぞかれ、御子を完全に信じ切ると助け手の御霊が送られるのよ。この御霊によりノイズが完全に打ち消され視界が開け、御言葉が鮮明に聴けるようになるの。

 

その様だから第二の死による永遠の滅びが創造主による生贄の燔祭で、それにより永遠の命が贖われるとくっきり見えてしまうのよ。そのようにして八千代に至ると謳われているの。


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