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 今さっき気が付いたんだけど、もう神様に直接教えてもらってるって

感じになって来たわ。

これって神様に書かされてるってことなのかしら。

制御不能なの。困ったわ。


 行くわよ。

聖書の冒頭の創世記あるでしょ。

あの中に神様が園の中央に二本の木をお植えになったと書かれているでしょ。

命の木と善悪を知る木よ。

命の木っていうのはイスラエルのカバラの象徴でしょ。

これ人の信仰によりいくらでも解釈が成り立つの。

知らない人は全然知らないわ。

それはそれで困ったことだけど仕方がないわよね。

間違った信仰で解釈したりすることも超危険よ。

下手をすると自分が救世主と本気で信じて、

とんでもないことしでかし死刑になったりすることがあるの。

求道者は気を付けてね。


 私はこの命の木はキリストの十字架と思ってるわ。

それが一番安全な解釈なの。

イエスは「わたしはまことのぶどうの木」と言っているわ。

ぶどうの木になる果肉と果汁が、イエスの体と血なの。

それをパンとぶどう酒にたとえて、イエスとの婚約の儀式としたの。

「私の肉を食べ、私の血を飲まなければ御国にははいれない」

というイエスの言葉がそれを示しているわ。


 神道ではそれを神様からいただくお供物としているわ。

それはこのブログで初めから言ってきたわよね。

それでは一体、善悪を知る木は何の木かという事なの。


 これいちじくの木だったわ。

この木は私たちがつかなければいけな、いいちじくの十字架の木だったわ。

林檎の木なんか最初から生えていなかったのよ。

あたしのにらんだ通りだったわ。また一つ人間の無知が知れたわ。


 イエスは「自分の十字架を背負って私について来なさい」といったでしょ。

そしてある時、イエスはお腹が減ったのでいちじくの木のところに来たでしょ。

いちじくの季節ではなかったので、実が生っていないのを見て、

怒りを発し、その木を呪ったら次の日に枯れていたと書かれているでしょ。


 これどう考えてもおかしいでしょ。

先見者はこういう書き方が得意なの。

明らかにおかしいことが書かれているときはサインなの。

読み取れというサインなの。古事記なんか丸ごとそのサインで

書かれているわ。


 それがこのブログのタイトルになっている倒語(さかしまごと)なの。

いちじくは人の信仰の象徴なの。それを聖書から読み取らなければだめなの。

アダムとイブはこの善悪を知る木から取って食べ、

はだかである事に気付き、いちじくの葉をつづり体をおおったと

書いてあるわ。

 その後神様に懺悔するんだけど。

ここで聖書は何が言いたいかというと、

サタンに唆されて取って食べたけど、

だまされたと気付き信仰に目覚めたということよ。

だからいちじくで自分の裸の恥をおおったの。


 だけどここのところに悟りの智慧が必要なの。

取って食べても騙されたと気が付かない人っているでしょ。

あなたのまわりにもごろごろいるはずよ。

その人たちが取って食べるのはいつわりの葡萄の木なの。

そしてその甘さに酔いしれてしまうの。


 ヨハネはそれを黙示録で、姦淫の杯に酔いしれると書いているわ。

その人たちはいつわりの葡萄の木と化すのよ。

だから神の怒りの酒船で踏まれるって書いてあるのよ。

ヨハネの黙示録よ、読んでる?


 でもね賢い花嫁たちは、その木から取って食べその苦いことを知るの。

それでだまされたと気が付くの。そしてはだかの恥を悟り

信仰を身につけるのよ。信仰の実をならすの。それがいちじくの実なの。


 その実がイエスの空腹を満たすの。そしてイエスの言葉により悟るの。

イエスの十字架から取って食べる果実は神様が降ろしてくれたお供物で、

私たちが自分の十字架でならせた果実が神様へのお供物になるの。

それが神道の直会よ。


 仏陀はそのこと知ってたわ。善因善果とはまことのぶどうの果と

いちじくの果のことよ。まことのぶどうの果はイエスの父に対する

信仰によりなったの。いちじくの果は父とイエスに対する信仰からなるの。

だから善因とは信仰のことと分かるでしょ。不信仰が何を招くかもわかるでしょ。

信仰のある人はそれだけで計り知れない賜物をうけていることも

わかるでしょ。

 いつわりの葡萄の木は信仰により

いちじくの木に変化する神様が植えた魔法の木だったのよ。

やっとわかったわ。これで善悪知ったわ。
だから善悪を知る木だったのよね。
スッキリ。

あなたも分かったでしょ。まだだったら早くお供物お供えして

お供物いただきなさい。毎日が直会なの。


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