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 倒語(さかしまごと)とは日本書記にその記述がある。

日本書記から引用する。

 

「神武天皇が、国の政を始めたもうた日に、大伴氏の遠祖が

密計を承って、諷歌(そえうた)【他のことになぞらえて諭すために

表立たずについて歌う歌】や

倒語(さかしまごと)【相手にわからせず、味方にだけ

通じるように定めて使う言葉】で、妖気を祓い平らげた。

倒語(さかしまごと)が用いられるようになったのは

これから始まったのである。 引用ここまで

 

と、そのように書いてあるのだ。

これは神武天皇の治世の初日に、妖気を祓い平らげるために
諷歌(そえうた)や倒語(さかしまごと)を用いるよう密計による
みことのりがあったという事だ。

 

 私はこの記述に接するたびに、キリスト・イエスがたとえを用いないでは
何事もお語りにならなかった、という聖書の記述を思い浮かべる。

 

 なぜイエスはたとえで話すのかという問いに答え、豚に真珠を与えるのは良くない
とイエスが語ったと聖書には書かれている。

この言葉がすべてを物語っている。

 

神武天皇のお祓いとは、キリスト・イエスのお祓いであり、
それは十字架上のお祓いであり、それは神様からの賜物だ。
この賜物は、聖書により古代イスラエルから伝わるカバラなのだ。

 

カバラとは受け取りを意味する言葉だ。賜物を受けるという事だ。
豚とは信仰心のたりない人の暗喩なのだ。そのような人が賜物を受けるのは良くない、
ふさわしくないということなのだ。

 それをふまえて古事記は書かれていて、すべて神様からの賜物は、
信仰のある身内にしか通用しない諷歌(そえうた)や倒語(さかしまごと)で語るよう
定められている。それが妖気を祓うための神事なのだ。

 

イスラエルが授かったカバラの命の木と同じ物であり、その象徴は
様々な図象でシンボライズされ神秘家の間ではよく知られている。

 

日本の倒語(さかしまごと)はそのカバラの深みより深い。
メシアからの先見者たちへの直伝によるからなのだ。
それを命の木のように、それと知らせずにそこにあるのだ。

 

日本においてその象徴は雛人形だ。誰もがそれと気が付かない巧妙な仕掛けだ。

 

カバラを理解してしまうと命の木は神の天地創造から今日に至るまでの
すべての叡智が示されていると理解できる。
今日を超えて未来永劫までと言える。
日本ではそれが国歌において「千代に八千代に」と歌われている。

 

その象徴が日本にもある。日本人さえ全くそれと気が付かずにそこにある。
この日本という国を築いた先見者たちにより、
諷歌(そえうた)や倒語(さかしまごと)で示されながら日本にあるのだ。

 

日本の国体が賜物そのものであるのだが、カバラの命の木の象徴に匹敵しながら、
誰もがそれと気が付いていない象徴が、桃の節句の雛人形だ。日本人が聞けば
何と稚拙なことを言いだすのかと笑うだろう。そこに仕掛けの深さがある。
この安国の先見者たちは雛飾りにカバラの叡智をすべて詰め込み、
それと知らせずに神道のお祓いで国家を鎮護して来たのだ。
三月三日は三々九度に通じているのだ。

 

何故そのようなことを私が知り得てブログに書いているのかと
不思議に思われると思う。それはこの賜物が、その信仰がそれを受けるにふさわしい
とされたときに誰にでも天から降されるものだからだ。

 
 そのことがはっきり聖書に書いてある。信じる者には助け手を送ると書いてあるのだ。


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