天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書と心御柱

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

倒語(さかしまごと)とは神武天皇の頃より始まったと日本書記に記されている。 それは味方にだけわかる言葉を使うということ。 古事記と聖書は倒語で書かれていた。

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 イエスから聖霊を賜るということははっきりとした神変だ。
うすぼんやりとした感覚的な事ではない。
あなたが葡萄酒を受けたので、イエスもあなたのいちじくを受け
ご縁が結ばれたと知らせる御神霊だ。地球神籬の最高神からのお使者だ。
開眼させられるとPTSDを発症しかけるが薬師様の施薬により癒される。

 聖書はイエスを証ししている。
しかしイエスは、今は天に上り天照大御神としてこの地球神籬において祀られている。
イエスの詔によりなった安国で、平けく祀られている神の道が命の木への道だ。
そこには門番がいて御用のないものは通さぬと言っている。
聖書は重要だがそれだけでは通れない。

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 大祓詞でのられる天津金木とはヨハネが示した「良い実を結ばない木の根元には
斧が置かれていると」という言葉を示している。天の金克木だ。
天津菅曾とは神が手にする箕のことで十種の神宝を示している。
この十種の神宝で篩い分けられ、切り倒されるという事だ。
どちらも禊の現場において語られた。


 十種の神宝とはそれはモーセの十戒だ。
そこには安息日を心に留め大切にせよと書いてある。

これは七日目の天における千年間の大宴会のことだ。
この宴会にイエスのバプテスマを受け馳せ参じることが、天神様の
七つの祝いにお札を納めると示されてきた。
納めないものは丑寅の金神の七殺の祟りを受けると
言いつがれてきた。

 直会のお祭りの御饌と神酒はイエスの肉と血だ。
では神前のお供物は何か。それは信仰者の肉と血だ。
神はそれを食し空腹を満たす。
自分の十字架を負いイエスのように血を流すことを意味する。
イエスは真の葡萄であり。人の信仰はいちじくの木。
実がなければイエスは怒り呪われる。そう聖書に書いてある。

 イエスの肉と血を食すとは瓶の縁まで水を汲むという事だ。
すると水は葡萄酒に変わる。これは満たした信仰によりいちじくの実が生り、
それをイエスに食していただき空腹を満たして差し上げるという事だ。
それが葡萄酒の固めの盃で、盃事がなると介添のお使者が結納のために遣わされる。
 

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 釈迦は耕作の人だった。
種を蒔く畑が荒れ地で良い作物が実らないことを知っていた。
その悟りの通り反キリスト文明がはびこる現世は法滅の世となった。
であれば何ゆえに梵天は釈迦を灌頂したのか。
それは毒麦の畑においても弥勒菩薩の言葉を受け良い麦が実るためだ。
毒麦は焼却されると書いてある。


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 私は日本に生まれた真のキリストの僕に言う。
待ち望むことをやめ今すぐ目覚めよ。
祈りに明け暮れ眠りを貪るなと。
キリストの僕として私は解脱したと現世に宣言せよ。
仏陀はキリストの道を整えるヨハネでもあったとはっきり悟れ。
弱々しい言葉を吐くな。
キリストは勝利の主であると現世に証しせよ。

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 幽世の皇室は現世において顕されてきた。
イスラエルがその主人の家のテーブルとして設えられたが
サウル、ダビデ、ソロモンを経て分裂した。
イエスがユダヤに来た時のヘロデは腐っていた。
ユダヤのキリストに対する不信仰がちゃぶ台返しとなり、
イスラエルから完全に主人の家のテーブルは取り去られた。

 

 ユダヤがちゃぶ台返しをしたので主人の家のテーブルは
この安国に平けく設えられ、新しい神の平安の都エルシャロームとなった。
そして天孫の皇室が幽世の皇室である主人の家のテーブルとなった。
臣民はこの主人の家のテーブルからこぼれるパンくずをいただき
長きにわたり平安を得てきた。


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 何故神は死よりも恐ろしいのか。
人が死んだあと復活もさせるし、背いたものには重ねて死を賜る。
仏陀は教えを聞き解脱したものは一矢を受けても二矢を受けないと言った。
背く者には二度目の死がある。ヨハネはそれを黙示した。
イエスはどちらが多いと言ったか思い出してほしい。

 

 はっきり言おう。神仏に正対し開眼する過程においては死よりも恐ろしいことを直覚する。
PTSDを発症しそうになるかも知れない。私の経験だ。しかし杞憂はいらない。
イエスの言霊によってしか開眼はなし得ず、その言霊は薬師如来の施薬でもあるから、
恒常性が働き癒える。その繰り返しで現生涅槃に至る。

 

 現世で涅槃に至ると死よりも神を怖れる。神に対する畏怖を知る。
善しとされたものが永遠の命の木に与ることを許される。
聖書が真理を証ししていると悟る。神道も真理を伝えている。
禊せずには恐ろしすぎて耐えられない。この禊の作法を仏陀は伝え残した。
そして大御神の祓いで救われる。

 

 もう少し踏み込もう。イエスは「私を信じないものが私を殺すのだ」と言った。
イエスの死刑はその罪を肩代わりしていた。
信じないものはその罪を身に受ける。
キリスト殺しの死刑を身に受けるという意味だ。
イエスを信じないものには現世の法廷における死刑宣告は他人事ではない。

 

 現皇室の皇女に佳日が訪れるのを切に願っている。
しかし現皇室が納采の儀を出せない事態にあるという事は
日本人のみならず世界中の人にとって他人事ではない。
イエスをお遣わしになった幽世の天皇のみ旨を知らずに
イエスから納采の儀を受けることはできない。
PTSDを克服してでも死刑を免れるべきだ。


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 人の脳内には正常性バイアスが働いている。
どのような立場においてもこのバイアスが働き自分を保つのである。
悔い改めない死刑囚もこのバイアスにより自身を保っているはずだ。
しかしこのバイアスはやがて外れる。
人間は肉の脳をもってあの世に行けないからだ。
現世を終えればこのバイアスは外れる。

 

 人間が現世を終え幽世に移った時に肉の脳はない。
そこでは偏見を捨てさせられ神に直面する。
現世において偏見を捨て、神を畏怖するよう神仏の諭しがある。
その諭しを侮り遊び暮らした後に幽世に生まれ、そこで初めて
自分が侮った神を見ることの恐ろしさ。
私は御免だ。

 

 重ねて言う。正常性バイアスを働かせ現世において遊び暮らす放蕩息子でも、
自分がやがて死を迎えることは知っている。
知っているが今は恐いからそれを考えたくない。
神仏の諭しに正対しそれを受け入れバイアスを外すということは
死よりも恐ろしい、神に対する恐れを知る事。
だから人は怖気る。



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 前方後円墳はマナの壺を模している。
壺の中身のマナがイエスの肉であり、血であり、言霊であり、
生ける命の水であることまでを示している。
縁まで満たされた生ける命の水をたたえる瓶でもある。
その瓶を婚宴の世話役のところに持って行くと葡萄酒に変わる。
この世話役とは許嫁の介添えの御霊だ。

 

 前方後円墳はマナの壺を模している。
この壺にすべてが秘められ伏せられているのである。


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 神が天から降らせるマナがイエスの肉であり、
イスラエルの井戸から汲む水がイエスの血だ。
それらを受け神前に供えると水である血は葡萄酒の神酒に変わる。
そのお供物をいただくのが直会だ。最後の晩餐におけるパンと葡萄酒なのだ。
そのマナと水を受ける場所が天真名井でありイスラエルの井戸だ。

 

 山幸彦は海神の宮で汲んだ水に勾玉を吐きいれた。
器と勾玉は一体化した。この神変は天から降るマナと器に汲んだ水が
山幸彦の言霊であり同一物であると示す。
これは甕に汲んだ水はイエスの言霊により葡萄酒に変わることをも意味している。
前方後円墳はこの器の形を示し、古事記は稗田阿礼の倒語だ。

 


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 イエスが全人類の許婚であると人はそう簡単に悟れない。
しかし悟ると結納の使者である聖霊が送られてくる。
そしてイエスの言霊の隠された意味を全て知らされる。
縁談の日取りまで明かされる。すべてカバラであり日取りは三五七だ。
イエスの言葉にすべてがある。生ける命の水は渇くことがない。

 

 イエスが全人類の許婚であることを悟るのは一見難しい。
しかし実は易しい。イエスが「私の肉を食べ、
私の血を飲まなければ御国には入れない」と言ったのは、
イエスの言葉が自分の血肉になるまでによく読めば事足りるという意味だ。
だからヨハネは「言葉は神であった」と言った。不信仰は無益だ。

 

 イエスの肉を食べ、血を飲むということは神様の体を丸ごといただくという事だ。
そうすることにより命の水である神の言葉がワインに変えられ
イエスとの固めの盃の神酒になる。カナの婚礼でヨハネはその事を示していた。
イスラエルの井戸から汲んだ水は神前で神酒に変わるという事だ。



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