天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

倒語(さかしまごと)とは神武天皇の頃より始まったと日本書記に記されている。 それは味方にだけわかる言葉を使うということ。 古事記と聖書は倒語で書かれていた。

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いつもね、ブログ記事書く時は読んでくれる人が納得できるように極力聖書で語られている事や、仏伝で知られている事をもとに書くようにしているのよ。

 

経典など学んだことはないから浅学な凡夫でも知っている仏伝なの。聖書さえきっちりと読み込めればそれで十分なのよ。そこに古事記の後ろ盾があれば私的には鬼に金棒なの。

 

その様に記事を書いているから、説得力のある記事を書いているつもりなのだけれども、反響はゼロに等しいから、どう受け止められているのかは、反響がないことが説得力を持って受け入れられていることの証左と判断しているの。いいのかなそれで。でもそうなの。

 

その様だから自分が感じたことをすべて大御神や仏陀の御言葉の定規に当てはめて書いているの。

 

でもね、聖書や仏伝には、本人が感じたことが無ければたとえを用いて表現しても絶対に理解され得ないようなことも書かれているのよ。

 

そのような機微に触れることをまだ書いていないことに気が付いたの。

 

それはね、仏陀が御説きになった解脱が、聖書に書かれているケルビムと回る炎の剣で守らせられている命の木への入り口だと確信して、御用のない者通しゃせぬと唄われているその細道を、御子の七つのお祝いに、お札を納めに参りますと唄いながら通していただいて、その後に覚醒させられると、本当に怖い思いをさせられるということなの。

 

いざお札を納めて戻ろうとして振り向くとそこに神様が立っていらっしゃってこちらを見つめておられるのよ。そこで神様と目と目が合ってしまい、生まれてこのかたの事は見られていないと思っていたのにすべて見られていたと気が付き死んだようになってしまうのよ。

 

ダニエルという預言者は幻を見て気絶してその後病気になっているの。ヨハネも黙示録のビジョンを見せられ初めに死んだようになっているのよ。

 

私の場合は預言者の語っていたことがすべて真理の言霊であり、なおかつ自分の犯してきた生来の不義は全て神様に見られていたということに気が付き、初めに死んだようになって以来、何度も何度も死んだようになっているの。

 

そのようなことは聖書にもはっきりと書かれていないから今まで書いたことが無かったの。でもそういうこともあるのよ。信じがたい?

 

でも私はこの世にあるうちに気が付いてよかったと思うの。まだ不義を改めることができるでしょ。改める機会を逸してから気が付いたら本当に死んでしまうわよ。

 

聖書で人は神の姿を見ると死ぬとされているのはそのためなの。

 

不可解なのは少年時代に見てピンピンしていた預言者がいたということなのよ。


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無題

  この暦はねイスラエルの十二の暦の後半部分なのよ。そして人間の今世から来世に対応しているの。前半部分が前世に対応しているのよ。

 

夏越の祓が人類創世で人の誕生、年越しの大祓が子羊の婚宴で終息、すなわち命日後なの。

 

それを年末の暦に当てはめると十二月二十五日から三十日までなのよ。それが人の一生と相似象なの。

 

この時期は年神様をお迎えする大掃除の時期でしょ。大晦日の一夜飾りでは間に合わないの。人類の命日を終わりの時とか神の怒りの日と聖書では記述されているのだけれど日本人の季節感にそぐわないでしょ。だから理解しにくいの。

 

聖書の言う終わりの時とか神の怒りの日というのは年神様をお迎えする、神様の大掃除の時なのよ。一人一人がこの神様の大掃除に呼応するのであれば遅くとも六日目、少なくとも還暦を迎えるくらいまでには大掃除を済ませておかなければならないの。

 

還暦を過ぎてしまってからでも気が付く人は一夜漬けでもなんでもかまわないからとにかく終息までには大掃除を済ませておかなければならないの。

 

それが本当の禊なの。大御神から御霊を賜り年越しのためのお飾りをしっかりと準備するということなの。それが仏陀の説いた八正の解脱なの。

 

そのように書くと仰々しいからいいかえれば、神様に心を向け、生来の迂闊さから足を洗っていただけば良いということなの。その為には人はどうしても大御神の御言葉を聞かなければ難しいことでもあるのよ。だから聖書があるの。

 

もう神様の大掃除始まってしまっているようにも思えるでしょ。

 

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 日光の神橋


 これは去年のすす払いでコロナ禍のマスクではないわよ。神様の渡御のための橋の大掃除なの。
 
 今日梅雨明けだけれども不思議な季節感よね。


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もうね、夏越の祓いに沿って記事書かされているのが自分でも丸わかりという摩訶不思議なブログになってきているでしょ。去年の年越しの祓いの時すでにそうだったのだけれど。

 

それを意識するから昨日の記事を書いのよ。そうしたら一晩死んだようにさせられ、またとんでもないことを知らされたの。これはもうその日のうちに記事にできないレベルなの。

 

それでも知らせなければいけないことはまだまだあるので、今知らせてあることはすべて吐き出せと言われているようなのよ。そうしないと人間の目は開かんと神様がおっしゃっているようなのよ。

 

結びと思っているようなことはまだまだ序の口ということらしいの。だから公開することにしたの。

 

それぞれ読む人の瞑想に任せ余計な言挙げはしない方がよいと思っていたのだけれども甘かった。

 

今日は八月一日。六月の夏越の祓は六道の悪趣から7月の天の川をまたいで八月の八正の涅槃への渡御の季節なの。

 

神の十二と皇紀

 

この神様の十二の暦はほとんどすべてを網羅しているの。十種の神宝から五千人が食べて満腹した二匹の魚と五つのパンと残りのパンくずの十二かご。二柱の一人神と五柱の夫婦神の神代七代の十二柱等々。聖書と古事記と仏伝を網羅してカバラの数が何を言わんとしているか理解できてしまうという魔法の鏡なのよ。焦眉は永遠の命とイスラエルの十二の関係性なの。

 

もちろん聖書に書かれている先見者とメシアの御言葉を良く良く理解するという前提が必要よ。そうでないと横道にそれ穴に落ち込むから注意してね。

 

 聖書や古事記や仏伝に、人間が迂闊さを回避するためにどれだけ重要なことが書かれているかということなの。阿吽

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今日は私の誕生日なのよ。誕生日祝いなどというのはバチカンのあのお祭りから派生した異邦人のお祝いだから祝う気持ちなどないの。それでもこの日付は私にとって摩訶不思議な重みを伴って迫ってくるのよ。

 

長い前置きは嫌いだからいつも結論から先に書いてしまうのだけれども、このことは結構な紆余曲折を伴うのよ。意識し始めたのは198888888秒の八ヶ岳においてだったの。

 

その山にキャンプインしたのが奇しくも自分の誕生日だったの。私にとってのその時はキャンプインから8日後の8の9並びの時だったのよ。

 

2年前のチェルノブイリの原発事故を受け放射能の脅威でご飯も美味しく食べられなくなっている人たちのキャンプだったの。数千人はいたはずなの。その時を経て何かが変わってしまいもう後戻りできないと感じていたの。

 

結果としては放射能禍を肌身で感じることなどなかったのだけれども、その後社会は大きく様変わりし企業が環境への取り組みをうたわなければやっていけない時代に入ったでしょ。

 

しかしエコロジーに看板を掛け変えただけで、原子力発電は温存され、企業活動も活発に行われるのを横目で見ながら、やはりこの世はお金にしか目がないのね、何かが間違っているけれどももうだめだわと環境問題に対する関心も薄れていったのよ。

 

しかしあの88の事象だけは心に残りその後も一体あれはなんだったの?なにがかわってしまったの?本当に元に戻れなくなってしまっているじゃないと思いながらも社会に溶けこむ努力で過ごしてきたのよ。

 

その間はどのように受け取ったらよいのか理解に苦しむ、神変なの?としか思えないようことをたくさん経験させられたの。

 

その様なことだったから、チェルノブイリの事故でヨハネの黙示録を意識していたことなども手伝って、関心が環境問題から神様の事に移ってしまっていたのよ。

 

888という数字がカバラではメシアの数とされているということなどを思い切り意識しながら、私にとって毎年めぐってくる88日は誕生日からの8日目で、それは生まれて8日目のイスラエルの割礼に対応しているではない、何か関係あるの?とか思いながら過ごしていたの。

 

そうこうするうちに2012年にキリスト教のカルトにはまったの。そして2014年の誕生日に通過儀礼を受ける予定が、ひょんなことから88日に延期されてしまったのよ。その時はまた来た、メシアの88また来たと有頂天だったのよ。

 

しかしその後がよくなかったの。原因不明のうつに取り憑かれ八方ふさがりの状態に陥ったの。結果としてある日、だめだこの教会、完全にカルトだわと悟り、その日のうちに脱会を決意し資料その他すべて処分して部屋に戻った時にうつが一気に晴れ、それまでに経験したことのあるどのような異変をもしのぐ青天の霹靂のような神気にうたれてしまったの。

 

そしてその時にこれってもしかして解脱と関係あるの?と不意に思ってしまったのよ。その時に積読状態にあった仏陀について書かれた本をぱらぱらとめくったら、人の心で熾烈に燃えている煩悩の炎を吹き消さなければ涅槃に至れないという仏陀の教えが飛び込んできて、これが命の木への入り口だ、ケルビムと回る炎で守らせられている命の木への入り口だと確信してしまったのよ。

 

それで昔少しかじったことのある瞑想をするようになり、一気にいろいろな扉がパタパタと開き、古事記が自分なりにわかるようになり今に至るのよ。

 

そうして気が付いたら今年になっていきなり原発事故などよりはるかにヤバい事象の時代に入ってしまったの。相当に深刻だわよ。

 

環境問題は産業革命以来もう後戻りできないごとが確定していたのよ。今年の7月は台風が来なかったけれども豪雨被害が多発しているでしょ。そのように後戻りできないことに手を染めなければ生きていけない人間の迂闊さにメシアの縄の鞭が当てられ始めているとしかもう思えないの。

 

そして生活様式は有無を言わさず変えさせられ、マスクをしなければ買い物に出られないような社会になってしまったのではないの?

 

お釈迦様は古布を充てて繕ったものを着ておきなさいと教えていたでしょ。メシアは鳥や花から生き方を学びなさいと教えていたの。

 

しかし迂闊な社会は、疫病が終息し、自慢の愛車を駆って着飾りながら楽しむ観光を以前のように満喫したいものだとしか考えていないでしょ。後戻りできることに越したことはないわよ。私だって観光地には行きたいと思うからね。

 

しかし人間の迂闊さにも程があると神様がお考えになる時期に入ってしまっているとすればもう後戻りはできないわよ。この問題は国際社会も国家も地方自治体も地域社会も家族も対処不能なの。

 

しかし個人がそのことに対処するための方法は太古から示されてきているわよ。迂闊さから回避してしまうとそれはそれでもう後戻り不可能なの。この世に籍を置きながらもこの世ならぬ空境の涅槃に避難させられるの。

 

そこにも老死は有るけれども病は癒されるわよ。そして気が付くの。この世の不具合はすべて迂闊な人間のメシアに対する不信仰が招来していると。

 

神様によりメシアの星が創られその周りをお月様に守られながら回転させられているのだから当たり前でしょ。

 

企業がこの問題に対処しながら企業活動を続ける世の中って想像できないでしょ。人間の迂闊さが文明の推進力なの。私も20代の頃は70’とか80‘の時代だったけれども自家用車を保有して遊び惚けていたわよ。

 

しかしね、何の役にも立っていないの。ただ迂闊だっただけ。しかしそのような経験があればこそ気が付けるというのも本当なのよね。最悪なのは迂闊さに気が付かずに終わる事とわかるでしょ。六百六十六よ。


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聖書の読み方を知らない、なんちゃって法王の国があるでしょ。バチカンとして知られているのよ。そのバチカンの神学ではアブラハムの子孫を祝福する者が祝福を受けるそうなのよ。

 

それで、なんちゃって法王のバチカンが、なんちゃってユダヤを祝福しているらしいのよ。両方とも聖書を読み込むことができないということで一致しているの。この世では迂闊さが猖獗を極めているということの証なの。

 

そのなんちゃってユダヤと目ん玉国との同盟関係というものもあるでしょ。二匹の獣と偽預言者の三つ巴なのよ。この時代に黙示録の預言が成就してしまっている事をその様に読み取れない人の右の手か額に、竜と獣と偽預言者の刻印である六百六十六の印が押されると二千年も前に黙示されていたの。

 

このブログを読みに来る人はその迂闊さを回避しなければだめよ。その上でさらに奥深いことに着目しなければならないの。なぜ六百六十六の印を回避しているはずの神国において原爆が二度も落とされなければならなかったのかということをね。

 

もう全部書け、もったいぶらずに全部書けと摩訶不思議な形で促されているのでネタバレ覚悟ですべて書くわよ。

 

この神国は失われたイスラエルなのよ。そのことは飲み込めているかしら。イスラエルは神に召命された三柱の神の公報の媒体なの。失われていてもその属性は同じなのよ。

 

だから六百六十六の迂闊さを回避しないとどのような目にあうかを公報させられているの。

 

それは神のイスラエルとされる以前のノアの洪水と、アブラハムが直視したソドムとゴモラの荒廃と、轍を一つにした神様の公報なの。

 

枝葉をそぎ落とし結論だけ書くから瞑想で補ってね。

 

あの時代は八紘一宇を看板にしていたでしょ。この八紘一宇とは天が下の一つの家族という概念であり、そのひとつの家族はお神酒の結び固めによりなる一つの家族なの。

 

そしてそれは神変によりぶどう酒に変えられた、メシアとの杯の結び固めによらなければならないのよ。それが直会の時にいただく大御神のお神酒なのよ。メシアのパンとぶどう酒なの。

 

そのようなことをまるで理解せずに、八紘一宇の神風を吹かせると称して、上官たちが若い戦闘員たちに、今生の別れの水杯で特攻を強いたでしょ。そのような極めて迂闊な愚挙が神様の逆鱗に触れたの。

 

日本人はそのような愚挙にいまだに気が付いていないでしょ。迂闊さを回避できていないから、嘘つきで有名な首相や都知事が非常事態宣言を出す立場として選出されているでしょ。その選挙さえ公平に行われているかどうかさえ怪しいのよ。

 

任命している天皇家も翼をもがれているでしょ。昭和天皇はその迂闊さゆえに招いた先の大戦の責任はすべて自分一人にあると目ん玉国の元帥に明言して敬服させたの。その後の天皇の新昭和建設の詔が祝福を受けて伊弉諾景気が真正の神風として吹いたのよ。

 

しかし迂闊な日本人たちはその詔を天皇の人間宣言として、極めて迂闊な教育を施してきているの。そのような迂闊な風潮に拍車をかけるかのような、テニスコートの恋で、皇室も骨抜きにされたの。お相手は当時バチカンの信者だった人。お孫たちは聖書の読み方すら知らないキリスト教の大学の出身なのよ。

 

そのように明治維新に端を発する老害文明開化による迂闊さが猖獗を極めているでしょ。だからまたぞろ神様の逆鱗にさわろうとして居るのよ。

 

五輪は中止させられ、皇室の納采の儀や立太子の礼は滞っているの。

 

そこまで深く読み込まないと回避できない迂闊さなの。それが神様の秤縄よ。クリアできなければ御国に渡御できないわよ。神様にとっては皇室も臣民も一蓮托生なの。


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日本人はキリスト教徒と言われる人たちがどれだけ迂闊かはっきり知った方がいいと思うのよ。聖書などまるで読めていないのよ。それはね、メシアの水を飲ませてくださいという御言葉に現れるの。

 

この御言葉をキリスト教徒はあーでもないこーでもないと持論を展開し、それぞれが独自の哲学にしてしまうのよ。この御言葉はメシアの人間に対するプロポーズの言葉として語られているの。

 

創世記 24

11女たちが水くみに来る夕方、彼は、らくだを町外れの井戸の傍らに休ませて、 12祈った。

「主人アブラハムの神、主よ。どうか、今日、わたしを顧みて、主人アブラハムに慈しみを示してください。 13わたしは今、御覧のように、泉の傍らに立っています。この町に住む人の娘たちが水をくみに来たとき、 14その一人に、『どうか、水がめを傾けて、飲ませてください』と頼んでみます。その娘が、『どうぞ、お飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう』と答えれば、彼女こそ、あなたがあなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください。そのことによってわたしは、あなたが主人に慈しみを示されたのを知るでしょう。」15僕がまだ祈り終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せてやって来た。彼女は、アブラハムの兄弟ナホルとその妻ミルカの息子ベトエルの娘で、 16際立って美しく、男を知らない処女であった。彼女が泉に下りて行き、水がめに水を満たして上がって来ると、 17僕は駆け寄り、彼女に向かい合って語りかけた。

「水がめの水を少し飲ませてください。」18すると彼女は、「どうぞ、お飲みください」と答え、すぐに水がめを下ろして手に抱え、彼に飲ませた。

 

この創世記24章はアブラハムが僕に言いつけて息子イサクの嫁を探しに行かせる物語なの。メシアの水を飲ませてくださいという御言葉を受け、ここで読み取らなければいけないのは、アブラハムとイサク、その僕が御父と御子と聖霊に対応した暗喩になっているということなの。

 

その僕が神に祈りイサクの嫁を見つけたということは、神にお伺いを立てる誓約(うけい)なのよ。

 

古事記の天照大御神と素戔嗚尊の誓約(うけい)なのよ。神にお伺いを立てる誓約(うけい)による婚姻なの。

 

その僕による誓約(うけい)によりイサクはリベカと結ばれヤコブ、後のイスラエルを生むの。そのイスラエルから十二人の子が生まれイスラエルの十二支族となり物語が展開していくの。

 

この展開によりアブラハム、イサク、ヤコブが御父と御子と聖霊の暗喩で、イスラエルの十二はその僕と暗示されているのよ。イスラエルの十二は人間の暗喩になっているでしょ。

 

それを受けイサクとして暗示されていたメシアが降臨し、水を飲ませてくださいという、神から人に向けられた誓約(うけい)のプロポーズがなされたということなの。

 

それはヤコブの井戸で水を汲みに来たサマリア人の女に向けられた言葉だったのよ。旧約と新約のこの部分で語られている事は聖書の全体を理解するうえで極めて重要なの。読み飛ばしていては聖書を読み誤ると言えるでしょ。

 

キリスト教の神学は完全に読み飛ばしているわよ。古事記はしっかりと押さえているから、山幸彦が海神の宮で水を汲みに来た侍女に水を求めながら、その水瓶に珠を吐きいれたという物語に仕上げているのよ。そしてこの水を汲む井戸が天真名井としてお祀りされているのよ。

 

福音書記者のヨハネがそれを受けて、メシアの井戸から汲んだ水を満たし宴会の世話役、すなわち僕である聖霊のところに持って行くと水がぶどう酒に変えられ固めの杯になると示しているの。それがメシアの最初の奇跡のカナの婚礼の含意なの。

 

ここを読み飛ばすからぶどう酒が足りなくなり、誓約(うけい)にお答えできない愚かなおとめとされるのよ。そうするとどのようなことになるか古事記にはっきり示されているでしょ。

 

読み取れるようになると迂闊なままではいられないから、仏陀が示した解脱などということも意識の端に上って来ざるを得ないの。

 

その上で聖書と古事記を読み直すから、宗教や学問では理解されていない驚くべきことが書かれているのを読み取るようになるのよ。


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もうね、書けば書くほど真名井の奥深くから水を汲ませられるの。それをすべて書いてしまうのは私の功名心なのよ。しかしね、ただひけらかしたいだけだったらそんなつまらないことには関わりたくないのよ。

 

初めからそうなのだけれども、どういう心持で書いているのかというと、せっかくこのブログを読みに来てくれて、いただいたご縁なのだから子羊の婚宴には同席しましょうねという気持ちで書いているの。だから何でも書けるのよ。

 

解脱などというと宗教的概念と理解されるから難しいことと思われがちでしょ。しかしね、悟れない人達がそのようにしてしまったのよ。宗教的概念ではないの。この世に来た人はみな迂闊さにより唆されているので、その迂闊さからの回避がお釈迦様により説かれただけなのよ。

 

聖書もその概念により書かれ広められてきたの。しかしね、それを悟れない人達が難しい教学で説明するから理解されていないのよ。

 

最初の女性イブがその迂闊さゆえに蛇にそそのかされたでしょ。アダムとイブはメシアと人間のメタファーだからね。迂闊なイブがアダムと結ばれ救われるという伏線が張られているの。だから人間は神の似姿に創られているの。

 

男女はメシアの前で迂闊さにおいては一蓮托生なのよ。しかしアダムはメシアの似姿だから、男は迂闊さから回避する賢明さにより女性や子供を数わなければならないの。お釈迦様が女人は解脱できないとお説きになったのはそのような伏線を理解したからと思うのよ。

 

イスラエルの荒野における人口調査において女性と子供を除く、戦闘に参加できるニ十歳以上の男子しか数えられなかったことにそれが示されているでしょ。

 

聖書がイスラエルにおいて示しているのは迂闊さ回避のための戦闘なのよ。約束の地に至って神により異邦人のせん滅が命じられたのは迂闊さが見過ごされないことを暗示しているでしょ。

 

ノアという人は洪水を箱船により回避したでしょ。その後神により二度と洪水では滅ぼさないと虹の契約が建てられたの。しかし人間はその後も迂闊さの洪水により死にかけているのよ。そこでイスラエルが建てられ契約の箱が箱舟であるアークと呼ばれたの。

 

このアークによりイスラエルはヨルダン川を渡りカナンに達したの。アークが川の中州にとどまり水を関分けている間に渡りおおせたのよ。しかしそれでもイスラエルは迂闊さから回避し得なかったでしょ。

 

それで分裂させられ、片方は失われたイスラエルとなり、残されたユダにメシアが降臨したの。このメシアが十字架上で死に、三日目に復活したことにより、人間の迂闊さの洪水のさ中に御国への渡御の道が開かれたの。それにより洪水では滅ぼさないという約束が成就したのよ。

 

しかし渡御した先で迂闊さは見過ごしにされないと暗示されていたでしょ。だから此岸にあるうちに迂闊さは回避しておかなければいけないの。その為に仏陀が梵天から灌頂されたの。

 

その開かれた道が大御神の神道とされこの世に属さない神鳥たちにより祀られてきたの。それはメシア降臨の七百年も前からのアークの渡御が紀元なのよ。だからこの国に生まれながら回避しない人達が世界で一番迂闊なの。そそのかす蛇に一番狙われているのがこの国なの。それでも一番暮らしやすいのは大御神のお祓いのおかげ様なの。

 

大御神のアークが中州にとどまり道が開かれていることが知らされているでしょ。アークが渡御してしまったら回避するすべはなくなるわよ。だから絶対に回避して子羊の婚宴に同席しましょうねと言いたいのよ。


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はっきり言ってね、この世は迂闊なのよ。はっきり書けば書くほどこのブログの人気がガタ落ちなのは丸わかりだけれども迂闊なの。

 

古今東西歴史に名をきざんだような人達も含めて、丸ごと迂闊なの。人は誰も自分が極めつけに迂闊だなどとは思ってもみないものよね。誰もが賢明に生きていて、善人も悪人も自分が極めつけに迂闊だなどとは生涯思わないのが普通でしょ。それがこの世なの。

 

私もその一人だったわよ。しかし聖書によれば恩頼によりメシアとつながってしまった人はもうこの世に属していないとされているでしょ。恩頼とはみたまのふゆと読むの。それはメシアから助け手を送られるということ。その助け手が、メシアが聖書でお示しになられた聖霊で、御霊の事なの。みたまなのよ。

 

神道では天照大御神の恩頼がおおもとされているけれども、それを理解できずに判った気になっている人がほとんどよ。大御神と素戔嗚尊は梵我一如の涅槃から月読命をお使者として送られているからね。

 

そのように三柱の神さまの阿吽の呼吸と息が合ってしまうことが、メシアから聖霊の賜物をいただくということなの。迂闊であったことをはっきりと悟らされ、その迂闊さから解脱を迫られるのよ。

 

それを成してしまうともう二度とこの世の迂闊さに属するのはまっぴら御免となり、この世に身を置いていても属していないという摩訶不思議なことになりうるの。それが戸籍を持たずに大御神をお祀りしている神鳥迦楼羅、八咫烏の真骨頂なのよ。

 

神宮のお祀りをこの世に属さず二千六百八十年も取り仕切ってきた由緒があるのよ。その神宮の恩頼により、政界も経済界も学界も宗教界も世俗も四季も花鳥風月も生老病死もすべてが暦通りに回されているの。

 

しかし迂闊なこの世はそれに全く気が付けないのよ。政界も経済界も学界も宗教界も世俗も迂闊のたまり場と化しているでしょ。しかしこの世は大御神の足台だわよ。いつまでもそのようなことが許されるわけがないでしょ。

 

お釈迦様はその迂闊さからの解脱をお説きになっていたの。悟った人は戸籍に縛られていても、もうこの世には属してはいないわよ。

 

御霊により渡御させられるの。

 

終わりの日の洪水から免れるために、大御神の鳳輦の箱舟に避難してしまっているの。

 

洪水は四十日と四十夜よ。

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今年は皇紀紀元二千六百八十年でしょ。これがなにを意味するかじっくりと考えてみたのよ。皇紀元年はB.C.660なのよ。この時代はね、B.C.720のイスラエルのアッシリア捕囚から、B.C.586と言われているユダのバビロン捕囚のほぼ真ん中の時代で、イスラエルにとっての激動の時代だったのよ。

 

この時代はイザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルとイスラエルの預言者の重鎮たち時代だったの。しかも私の見立てではお釈迦様もその時代の人なのよ。

 

南伝仏教で信じられている仏滅紀元B.C.543からさかのぼると仏陀生誕はB.C.623となり、皇紀三十七年の生まれになるの。試しに仏滅紀元B.C.543から567年降ってみるとA.D.24になってしまうのよ。

 

これらの事実をふまえた上でもしやと思いダニエルの七十週の預言をB.C.660に当てはめてみたの。ダニエルの七十週の預言は主がエレミヤに告げられた七十年という年数が元になっているの。

 

ダニエル書 9

24お前の民と聖なる都に対して

七十週が定められている。

それが過ぎると逆らいは終わり

罪は封じられ、不義は償われる。

とこしえの正義が到来し

幻と預言は封じられ

最も聖なる者に油が注がれる。

25これを知り、目覚めよ。

エルサレム復興と再建についての

御言葉が出されてから

油注がれた君の到来まで

七週あり、また、六十二週あって

危機のうちに広場と堀は再建される。

26その六十二週のあと油注がれた者は

不当に断たれ

都と聖所は

次に来る指導者の民によって荒らされる。

その終わりには洪水があり

終わりまで戦いが続き

荒廃は避けられない。

27彼は一週の間、多くの者と同盟を固め

半週でいけにえと献げ物を廃止する。

憎むべきものの翼の上に荒廃をもたらすものが座す。そしてついに、定められた破滅が荒廃の上に注がれる。

 

この預言が難解を極めているの。しかしね、八咫鏡に照らしてみましょうかという軽いノリで七週の七十年と、六十二週の六百二十年の六百九十年とあてはめて、最後の一週の十年を足すと七百年になるではないとなるのよ。

 

エレミヤも破格の預言者だったの。だからエレミヤの言う七十年を、文字通りの七十年と、七百年の複合預言として考え、問題のB.C.660に当てはめてみるの。そうすると七十年後はB.C.590となりバビロン捕囚のB.C.586の四年前で前夜なのよ。

 

そして次に七週の七十年と六十二週の六百二十年の六百九十年を当てはめてみるとこれが何とA.D.30なのよ。最後の週の十年を充てて七百年とするとA.D.40なのよ。

 

イスラエルのメシアの十字架はこの間の出来事だったと考えられているでしょ。

 

ダニエルの預言は、最後の一週のうちの半周で生贄と捧げものを廃止すると読めるでしょ。そして定められた破滅が荒廃の上に注がれると結ばれているの。

 

A.D.40以降、ユダの滅亡はA.D.73だったの。A.D.33から四十年後よ。ローマによるエルサレムの神殿の破壊はA.D.70

 

その後キリスト教会は歴史が止まっていて、最後の一週の時が来ると教会は携挙されるとかいうわけのわからないことを信じているでしょ。

 

 

でもね、歴史は大御神の暦通り一日たりとも留まることなどありえないでしょ。

 

だからね、私の考えではエレミヤとダニエルの七十年と七十週の預言は大御神の暦通りに進展中なの。

 

始まりはB.C.660の皇紀なの。イスラエルの南北の分裂の危機の時代に、七十年と七十週による、エルサレム復興と再建についての御言葉が出されたのがこの年なのよ。この年に契約のアークが渡御を開始し、失われたイスラエル元年となったのよ。そして皇紀六百九十年から七百年にかけてメシアが遣わされ、私は失われたイスラエルにしか遣わされていないと御言葉したの。その後ユダヤは荒廃に見舞われたけれども、失われたイスラエルは今も健在でしょ。

 

その後失われたイスラエルに荒廃の影が差しつつあった、神武南北朝の分裂の時代に再度復興と再建についての御言葉が発令されているように思えるの。イスラエルの荒廃と、失われたイスラエルである神武朝の荒廃は相似象なのよ。イスラエル歴と西暦と皇紀はあざなえる縄の如く、預言によりよられた太い綱なの。

 

今年は皇紀二千六百八十年。イスラエルの鳳輦は契約の箱でありノアのアークなの。

 

そのアークに大御神の御霊が御鎮座し文字通りのお神輿として、洪水の中を彼岸に渡御の真最中なの。そのことが二十一世紀の幕開けと同時に知らされたでしょ。



 

ペテロが語ったように、神様の目には一日は千年のようであり、千年は一日のようであるのよ。皇紀と西暦が共に三日目に入って二十年たっているでしょ。

 

メシアは神殿を三日で建て直して見せると公言しているの。迂闊にしていると天の川を彼岸に渡御し損ねるわよ。定められた破滅が荒廃の上に注がれると預言されているの。世界中が荒廃しきっているでしょ。

 

六月の大祓で六道の悪趣から解脱し、七月の天の川を渡御し、八月の八正道の涅槃に至るのが大御神の渡御に従うことになるの。その渡御の暦は二千六百八十回転もしているのに悟らない人の方が多いのよ。アダムから数えて七千回転目が神様の七日目の渡御の始まりのはずなのよ。

 

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日々瞑想しているとどうしてもこうなってしまうのよね。阿吽

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あのね、メシアは幼子のようにならなければ御国には受け入れられないと御言葉していたでしょ。この御言葉を私が飲み込むと、幼子にでもわかるように簡単に理解しなさいということなのよ。だからそのように簡単に理解したことを記事にするわね。

 

inotinoki.sankaku

 

イスラエルのカバラの命の木は賜物の木なのよ。真の命の木でメシアそのものと考えても間違いではないの。

 

この木に太陽の栄光、月の栄光、星の栄光の三栄光が示されているでしょ。これが私たちの住むこの世なのよ。太陽の栄光とは光の世界で、迷いから解脱した涅槃なの。月の栄光とはいまだ太陽の光を見い出せない迷いの世界で求道者の世界なのよ。

 

この世界で見る月を太陽と勘違いしている人や、血迷うと自分を太陽だと信じてしまう場合とかもあるのよ。

 

星の栄光とは夜空に輝く星が全て魅力的に見える魅惑の世界でしょ。言わばここの世界が世俗の人たちが属する栄光の世界なの。太陽や月の輝きは目に映らないの。

 

そして私たちのこの世には自分の信じることが現実化するという引き寄せの法則が働いているでしょ。このブログを読みに来るような人はおよそ求道者以上だと思うから引き寄せの法則について説明は不要でしょ。求道者以上と言ったからって上下は問題ではないわよ。

 

神様は人を偏り見るお方ではないから誰にでも等し並みに引き寄せの法則を働かせ賜うでしょ。

 

そして人はこの世で引き寄せることを当たり前のようにあの世でも引き寄せるのよ。どの様に引き寄せるかはメシアにその光景を見せられたヨハネの黙示録に書かれているわよ。

 

この世で太陽の栄光を引き寄せた人は、都に入り、そこにはもう太陽はなく子羊が都の光だったと書かれているでしょ。

 

月の栄光や星の栄光を引き寄せた人はあの世で夜の世界を引き寄せるの。そこにはもう太陽がないのと同じく月や星も輝かないのよ。光のない夜の世界なの。そこはすべての光を消し去り暗黒化しようとする暗黒魔王の支配する闇の世界なのよ。

 

だからメシアの御言葉を信じ光を見出さない人は、その御言葉の通りに外の闇に放り出されるのよ。メシアの御言葉が一言一句、真理の御言葉で成就しない御言葉はないの。

 

メシアを弥勒菩薩として示したお釈迦様も重要なのよ。お釈迦様は求道者のお月様なの。お月様は太陽の光で輝いているでしょ。それが預言者、先見者、聖賢と言われる、メシアの光である聖霊により輝くお月様たちなの。この国では月読命としてお祀りされているでしょ。

 

仏教はねこのお月様を太陽としてしまっているでしょ。だから葬式仏教なの。だから月の栄光と星の栄光は、カバラの命の木ではその三角の頂点が下向きの滅びの世界の方向を示しているのよ。

 

滅びの世界から解脱するかしないかは、月の栄光の世界と太陽の栄光の世界の中間にある登竜門のダアトのチャクラをクリアしないといけないの。このチャクラはね、ビシュッダチャクラと言って人の喉元にある真言のチャクラなの。

 

メシアの真言を神が天から降らせるパンであるマナ、そして真名の井戸から汲む命の水として受けることができるかどうかが登竜門なのよ。

 

メシアの真の御言葉が神であり都を照らす光なの。

 

求道者の鏡であるお釈迦様が御説きになった解脱ということをまるで意識できないキリスト教会は、外の闇に放り出されるために復活するみたいなものよ。携挙された時には婚宴は終わってるのではないのかしら。

 引き寄せるの。

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