天照大御神の倒語(さかしまごと) 古事記と聖書

聖書と古事記を読み、この地球という神奈備の星において何が起こっているのか、目を開かれた筆者が徒然に語るブログ

倒語(さかしまごと)とは神武天皇の頃より始まったと日本書記に記されている。 それは味方にだけわかる言葉を使うということ。 古事記と聖書は倒語で書かれていた。

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一つ前の記事で虚空蔵求聞持法などという大それたタイトルで記事を書いてしまい、密教の時代は過ぎ去っているなどと大見栄を切ってしまったの。でもね、聖書を読みイエスの贖罪の意味を悟った身においては、イエスの御言葉が虚空蔵求聞持法を判りやすく解説して飲み込ませてくれる菩薩の御言葉としか思えないのは本当のことなの。そして密教の時代は過ぎ去っているということについても、神道の元締めが天照大御神の心御柱がキリスト・イエスの贖罪の十字架だということを証してしまった以上その様に言えると思うの。

 

でもね、そこには神様の大いなるはかりごとが介在しているの。そのことも書くように促されているの、おかげ参りは。本当に困ったものだわ。神様が離して下さらないのだもの。だから書くわ。

 

聖書の管理者はイスラエル国とバチカンでしょ。仏教経典の管理者は世界に散在する密教を含む仏教諸派でしょ。これらの世界宗教の管理者の生業により聖句はベストセラーとなり仏伝や仏像も世界中で信仰の対象になっているでしょ。でもね、これらを世に広めている管理者たちは神仏のお諭しである解脱悔い改めの魔訶般若を悟れない人達でしょ。もしこれらの管理者が解脱悔い改めの魔訶般若を悟った菩薩であったのなら世界は今とは違ったはずでしょ。

 

それでもこれらの管理者たちがそれを生業として来たから聖書は現代においてベストセラーだし、仏伝や仏像も大人気なの。そこに魔訶般若として悟らなければいけない重要な、神様の密教が潜んでいるのよ。この神様の密教は言葉で表現するのは無理だわ。色即是空、空即是色と表現しても当てはまらないでしょ。しかし神様の密教はそこにあるのよ。

 

私がなぜこの記事を書くつもりにさせられたかというと、天照大御神の心御柱はキリスト・イエスの贖罪の十字架だと証してしまった八咫烏とその取材者の関係が、神仏とその神仏の魔訶般若を悟らない管理者の関係にすっぽり当てはまっているからなの。その悟らない管理者により天照大御神の心御柱はキリスト・イエスの聖十字架だと明らかにされてしまったの。ここに神が園の中央に二本の木を生えさせられた時に、善悪を知る木から取って食べるようにそそのかす蛇がいたということにより示される神様の重要な密教が示されているわよ。

 

これはことばでは説明できないわ。悟るしかないの。それが神様の密教なの。聖書の管理者も仏伝仏像の管理者もなぜか悟らないでしょ。天照大御神の心御柱を明かにしてしまったカバラの管理者もなぜか悟らないのよ。その人はモルモン教の信者なの。でもねこの人のカバラの知識は管理者の名をほしいままにするだけの奥行きと、厚みは十分に兼ね備えているの。そのようにして神様は悟らない管理者を通して密教をお示しになるのよ。

 

それは管理者として聖別されたイスラエルが神を悟らずに、ついに終末を迎えるということを暗示しているように思えるの。この記事で何が言いたかったかというと聖書や仏伝は賜物の宝庫、モルモン教徒の日本人であるカバラの管理者の著書も賜物の宝庫であるということなの。でも悟りに至らない管理者たちのパン種にはよくよく注意してね。

 

それが神様の密教と私は受け取ったの。虚空蔵求聞持法よ。

 

上記のことを注意書きとした上で私のカバラの知識の仕入れ先を示しておくわね。著者はモルモン教徒よ。

アマゾンで検索して。

失われたキリストの聖十字架「心御柱」の謎―裏神道の総元締め「八咫烏」が明かす封印された第三の伊勢神宮と天照再臨 (ムー・スーパーミステリーブックス)



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 十七世紀のイギリスの政治哲学者のホッブスという人がね、個々人の平等な生存権に基づいてくり広げられる「万人の万人に対する闘争」を人間の自然状態とみなしたそうなの。その哲学を踏襲して各主権国家がそれぞれの国家利益の増進を目指して、相互にしのぎを削る潜在的戦争状態の国際社会像が構築され、その哲学により現代の国際政治経済は運営されているらしいのよ。その帰趨により軍事力に基づく、覇権国との安全保障体制が必須のものとなっているの。

 

この「万人の万人に対する闘争」というのは完全に阿修羅の修羅道の悪趣の世界でしょ。それが現代文明社会の正常性なの。しかしね、現代の文明社会におけるベストセラーの書物において弥勒菩薩はそのような阿修羅たちの、正常性の偏見にとらわれた社会を激甚災害の現場として、滅びに至る門は広く開いていると警告しているの。

 

そのことを読み取った時にこのベストセラーの書物は、弥勒菩薩から求聞持法を授かるためのバイブルであったと理解できるのよ。阿修羅が弥勒菩薩、虚空蔵菩薩から求聞持法を授かるためのマニュアル、教科書だったと理解するの。それはメシアからの洗礼と示されているわよ。メシアからの洗礼とは聖霊を送られるということであり、それは仏説で示されている梵天から灌頂を受けるということだわ。

 

メシアも救世の菩薩としてこの世に来られ、十字架上で梵天から灌頂を受け如来とされたのよ。その如来により弟子たちは聖霊を賜り、将来如来となることを約され、阿修羅から解脱し菩薩とされたの。その菩薩たちが上からの力に覆われ、失われたイスラエルとなり、その如来を天照大御神としてお祀りしながら求聞持法による菩薩国として神道の国、日本をあらしめているの。

 

わかりやすく言えば阿修羅は神によりメシアのいいなずけとされこの世に送られてきた羊なの。賢い羊は羊飼いの声を聴き分け自身がメシアの父によりいいなずけとされていたことを聞き分け、父なる神と子なる神を識別し、子なる神からの求婚をお受けするの。求婚をお受けすれば婚約者とされるから当然お仲人が立てられ結納が交わされるでしょ。その時にお納めするのが結納のための信仰であり、お受けするのが如来となることを約された証の求聞持法なの。

 この求聞持法により如来となるための命の木への道を守らせられる菩薩として必要なことを示されるの。弥勒菩薩は求めなさい、そうすれば与えられると御言葉しているわ。そして時が至り、御父のお許しが出た時にその御神前で結び固めの儀が行われるの。菩薩ヨハネはそれを子羊の婚宴と黙示しているでしょ。この国は神仏混交の仏説魔訶般若の虚空蔵求聞持法によりなる国なの。阿修羅にとっては既に密教の時代は過ぎ去っているの。神道の元締めが天照大御神の心御柱はキリスト・イエスの聖十字架であると証してしまってから十九年もたっているわよ。


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 私ね、聖書一本やりで求道していたから仏伝なんて深く学んだことなかったの。でもね、ある時キリスト・イエスのことで御霊に感じ、神気にうたれた時があったのよ。その時にこれってもしかしてお釈迦さまが御説きになっていた解脱と関係ある?とふっと思ったのよ。そうして瞑想してみたら関係が大ありだったの。そのことは他の記事でも書いてきたけれども、だからと言って仏伝なんかいまさら深く学ばなくても別にいいわ、仏陀の預言した弥勒菩薩から助け手を送られてしまったらもう必要ないでしょと思っていたの。

 

そして二つ前の記事で「この世に息があるうちにお迎えを受ける」なんて記事を書いてしまったら、ああ、もう私もこの世のものではないわとあらためて実感したのよ。でもね、イエスやお釈迦様が御説きになったことはこの世に対する執着を捨てなさいということなのよ。この世に対する執着を捨て得た時に初めて高天原の父からお迎えが来るのよ。生きているうちに。

 

イエスの聖書にはそのことが記されているわよ。仏伝ではそのことが梵我一如として伝えられているでしょ。聖書も仏伝も世界宗教よね。でもね、私は、宗教は極めてこの世的な生業に属していて、宗教では命の息があるうちにお迎えを受け、梵我一如を実感することは不可能だと思うの。

 

キリスト教の誤謬は神を三位一体としたことよ。そんなこと宗教会議で決めるという感覚が私に言わせればお陀仏。そして仏教についても改めて考察し始めているのだけれども、仏教は釈迦を如来として神の上位に置いたでしょ。ヒンズーで示されていたブラフマより上位の如来としたでしょ。それが十大弟子の悟りにより仏伝として伝えられ、世界中で釈迦を崇めているでしょ。それじゃあ解脱は釈迦しかできないわけよね。

 

そして解脱は釈迦にしかなし得ない魔訶般若として権威付けし、その権威で生業を立てているでしょ。それが仏教なの。そのように観世音したからよく考えてみたの。現状で分かったことを私見として書いておくわね。菩薩とは将来御父のもとで復活を約された解脱者たち。釈迦もこの範疇なのよ。如来とは菩薩としてこの世に来た弥勒菩薩が御父の御旨に従い救世の大業を成し遂げられ、この世で死を受けながら三日目に如来として復活して当時の菩薩たちの前にそのお姿を現したことを物語っているの。

 

そのお姿を見たわけでもないのに見たのと同じように信じ、悟る者に神様からお使者が遣わされ来世で高天原の神宮におかげ参りを許される菩薩としていただけるの。菩薩たるも如来たるもすべて神の御旨に沿い奉るか否かにかかっているのよ。だからイエスは父の御旨を行う者が天の国に入ると御言葉したの。

 

キリスト教も仏教もつまずいているでしょ。神道は飲み込んでいるわよ。キリスト・イエスは菩薩行を終え如来となられたから当時の菩薩にしかそのお姿を現さなかったの。それが岩戸開きだったの。天照大御神の岩戸が開け、弥勒菩薩が永遠の命をもたらす薬師如来となられたことを古事記は、神道は、この安国の国生みとして伝えているの。見たわけでもないのに、まるでそれを見たかのように信じる者にならなければ如来をお遣わしになった父なる神からお迎えを受けることはできないわ。天照大御神をお遣わしになった尊い神様がいますことは古事記にはっきりと記述されているわ。というのが現状での私の理解。参考になればいいと思うけれども、お迎えを受けながらこの世に留められているということは、まだ学びが足りていないということだから至らないところは大目に見てね。


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籠の中の鳥を発見したわ。皇大神宮では遷宮のたびに籠の中の鳥が供えられていたのよ。
籠目は六芒星の曼荼羅にしか見えないし、六芒星は元伊勢京都籠神社の裏社紋なんだって。
そこの宮司さんが「籠目歌は当神社の発祥です」と言っているらしいわ。
写真を見ればかごめ歌のかごの中の鳥にしか見えないでしょ。
籠目の六芒星はユダヤのダビデ家の紋章だし。
メシアはそのダビデの子だし。
神宮の心の御柱はメシアの十字架だっていうし。
鶏鳴三声もメシアの十字架の朝に鳴いていたし。

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お釈迦さまとイエス様の違い判る?お釈迦さまは解脱するための苦行の果てに如来となられたの。イエス様は十二歳の時に神殿を父の家と見切っていて、その後ユダヤでメシアとして教え始める前にヒンズーの経典をマスターし、仏典をマスターし、衆生を救うための研鑽を積んだと言い伝えられているの。

 

お釈迦さまは如来となられたけれどまだ復活はしていないわよ。それでも入滅する前に真理を悟り、弥勒菩薩からお迎えを受け、自身も菩薩として働いたの。イエスは既に復活を果たし、そのことにより救世観音としての御働きを半ば終えられているの。その救世観音の御働きの日取りが仏陀の預言した五六七なの。

 

観音と菩薩と如来の違い判る?すべて神の道においてその道を悟った人のことを示しているわよ。イスラエルの預言者もお釈迦さまも全てその身内で観音と菩薩と如来なの。ただ救世が付いたときだけはイエスのことを示しているの。イエスは前世で便宜上ヤハウェとかエホバと呼ばれ、この世に肉を受けた時はイエスと呼ばれ、復活して天に上った後は、そこを高天原として天照大御神としてお祀りされているの。信じる者には助け手を送るという御言葉を残しているわよ。そのようだから観音と菩薩と如来は救われる方も救世観音も別名の洪水なの。梵我一如なの。魔訶般若なのよ。

 

その救い主をお遣わしになった創造主の御旨が、この世に息のあるうちに、救世の主からお迎えを受けておけということなの。それが仏陀のお示しになった解脱。宗教や哲学や神学はそれらのことをこれっぽっちも理解しないから、自分たちの囲いの中で観音と菩薩と如来の現世の御利益をうたい、献金やお布施を受けているの。仏陀の解脱も理解できないのに自分たち以外を求道者などと呼ぶ人達まで居るわよ。宗教の外でそれをビジネスにしているごくつぶしもいるでしょ。

 

でもね、弥勒菩薩から生きているうちにお迎えを受けようと思ったら、いくら金銭を積んでも無理よ。私なんかそのような人たちはただの霊感商法に堕しているとしか思えないのよ。

 

日本の皇大神宮は禊を済ませていないただの観光客でもお参りできるけれども、高天原にある神宮は禊を済ませていない者が、安易にお参りできるようなお社と思う?そこには命の木が生えているのよ。

 

顕世と幽世でつながっている観音と菩薩と如来の魔訶般若により、いまは高天原の御父のもとで支度の修行をされている、救世観音、天照大御神により禊を受け、生きているうちに高天原からのお迎えを受けなければ、なかなかお参りできるところではないと私は思うわ。何でこんなこと今まで誰も教えてくれなかったのかしら?


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 特に男の人はね「右の目が罪を犯すのなら抉り出して捨ててしまいなさい」というイエスの言葉を強く意識したほうがいいわよ。私はこの語り口だけれど普通に男だからね。よくわかるわよ。右の眼を抉りださずに済ませる方法を自力で理解してしまえば男の人は簡単に解脱できるわよ。右の目が罪を犯すから成り立っている産業があるでしょ。あれが男の宿痾なの。その宿痾からの解脱なの。

 

イエスの御言葉と聖書を魔訶般若で瞑想しないと難しいかもしれないけれど、イエスの御言葉を丸呑みにして解脱しない人がいたらお目にかかりたいくらいだわ。その解脱した空境にイエスから助け手が送られてくるの。そうなってから瞑想して自分のデスマスクを観想すると、生きているうちにお迎えが来てしまったと実感できるはず。それが空境涅槃なのよ。お迎えが来ないのはイエスの御言葉を丸呑みにできていないから。イエスの肉を食べ、その血を聖杯で丸のみにできていないから。イエスと魔訶般若がつながらない人が神学で語るの。瞑想のためのヒントは、もうほとんどこのブログで書いてしまったわ。

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イエスの「信じる者には助け手を送る」という御言葉はね、イエスを信じる者には生きているうちにお迎えが来るということなの。イエスの御言葉を丸呑みにしてそれでも解脱しない人がいたらお目にかかりたいくらいなの。仏陀の預言した弥勒菩薩よ。弥勒菩薩からお迎えが来るということなの。当然空境涅槃を悟らなければ来れないでしょ。煩悩の炎を自力で吹き消そうとしない者に梵天界からお迎えなんか来るわけないでしょ。

 

高天原で賢いおとめを迎える準備をしている天照大御神よ。自力で禊しようとしない者に高天原からお迎えが来るわけないでしょ。「イエスはわたしのことを信じない者が私を殺すのである」と言っているでしょ。油断した愚かなおとめにお迎えが来た時には婚宴会場の扉は閉まっているとたとえ話で教えているでしょ。

 この世にあるうちに高天原から納采の儀のお使者は送られてくるの。私の言うことなんか信じなくても問題ないけれど、聖書のイエスの御言葉は確実に成就するからね。生まれてこない方がよかったという事態に陥るわよ。滅びに至る道は広く大きく、そこから入る者が多いと警告されているでしょ。メシアを信じお迎えを受けるか、この世の雑事に気を奪われ終わりを迎えるか二つに一つしかないと思うわよ。自分のまわりをよく見たら、狭き門を見い出せず神様のこと安易に考えている人ばかりでしょ。自愛してね。


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 古事記では天照大御神に岩戸からお出ましいただくために常世の長鳴き鳥を鳴かせたと書かれているのよ。どのように鳴かせたかというと「カケコー、カケコー、カケコー」と三度鳴かせたの。岩戸が閉じる前に三度。開けてから三度×二回。都合九度。三々九度の固めの盃の暗喩かしらね。

 

「カケコー」の皇大神宮の茅葺のお屋根の上に二匹の魚と五個のパンが乗っかっているの気が付いているかしら。二体の千木と十本の鰹木。合計で十二。神代七代の二柱の神様と五組の夫婦神で合計十二柱の神様の暗喩なのよ。この二匹の魚と五つのパンは天照大御神のふるいだからやたらと奥が深いわよ。この記事ではゆらゆらとふるうと死人をも生き返らせる十種の神宝について書くわ。

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十種の神宝では天津罪五つと国津罪五つがゆらゆらとふるわれるの。どのようにふるい分けられるかというと、この世に来た五人の賢いおとめと、五人の愚かなおとめに篩い分けられるの。古神道の古老は死に至る罪と死に至らない罪があると示しているわ。油を切らせなかった賢いおとめはこの世にあるうちにお迎えが来るのよ。油断した愚かなおとめはお迎えが来た時には扉が閉ざされているの。

 

別の古老の一人は聖霊により篩い分けられた麦は倉に納められ、殻は火で焼き払われると示しているわよ。聖霊は神宮のお屋根の二体の千木。羽を広げているでしょ。善い実を結ばない木の根元には斧が置かれていて、十種の神宝で篩い分けられた悪果の木は聖霊の天津金木で切り倒されると示しているの。それが「カケコー」の悟りなの。


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 皇大神宮の鶏鳴三声なのだけれど私の理解に足りないところがあった。鶏の鳴く前に三度イエスのことを知らないと言ったペテロの象徴と理解していたでしょ。それだけではなかった。イエスは復活後、ペテロに顕れ「ほかの人より私を愛するか」と三度尋ね、ペテロは「私が愛していることは主ご自身がご存知です」と三度答え、その三度ともイエスはペテロに「私の羊を飼いなさい」と命令しているの。これがペテロとイエスの三声でもあったのよ。

 

二十年に一度の式年は七七七の二十一年目には神殿建て替え。七七七の三日目には神殿立て直しのイエスの御言葉成就。七年ごとに進むヨベルの暦に則るイスラエルの式年遷宮。ヨベル書を偽書としているユダヤ教やキリスト教は油をきらせた愚かなおとめなの。当然のごとく命の木のカバラは読みそこなうわよ。


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ついにとどめさされたわ。二匹の魚と五つのパンは御父と御子と聖霊、御父と御子といいなづけに対応していた。二つ前の記事でこの二匹の魚と五つのパンのセム、ハム、ヤペテとの対応の記事を書いたけれどそのままアブラハム、イサク、ヤコブに対応していて、ということは当たり前のように御父と御子と聖霊、御父と御子とイスラエル、御父と御子といいなづけに対応していて当たり前だったのよ。


 

二匹の魚が御父と御子だったのよ。御子の魚がカナンの呪いとイスカリオテのユダで死を暗示し、同時にイサクの祝福による復活を暗示しているのよ。その御父と御子と聖霊のふるいにより、イスラエルがふるいにかけられ、いいなづけが賢いおとめ五人と愚かなおとめ五人のふるいにかけられるのよ。五つのパンとは陰陽の五行なの。このふるいには三と五と七と十と十二の数が隠されていたのよ。

対応関係をまとめると

一匹の魚  御父 セム  アブラハム  ペテロ

一匹の魚  御子 ハム  イサク    イスカリオテのユダ

五個のパン 聖霊 ヤペテ ヤコブ    10人の弟子

 

一匹の魚   失われた二支族 イエスの復活(婚約) 失われたイスラエル(天照大御神)

一匹の魚   残された二支族 裁き        残されたイスラエル

五個のパン  失われた十支族 ふるい       外国        

 

少し複雑な部分もあるけれど、飲み込めるかしら。イエスの復活によりそのふるいは失われたイスラエルの神である天照大御神の手に移っているの。同一神だけどね。主人の家のテーブルはイスラエルから、誰にも知られずに失われたイスラエルに移動しているということ。

 

そして人種にかかわらずベストセラーの聖書のイエスの御言葉で世界中がふるいにかけられているということ。それが神変による天照大御神の失われたイスラエルでは陰陽五行十干十二支七曜二十八宿の魔訶般若の十二か月の暦として昇華しているということではないかしら。やはり神変不可思議な神秘国なのよこの国は。天照大御神の時からは逃れられないわけよね。日本人が魔訶般若の一番近くにいるということよ。


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